中学受験という選択

中学受験専門塾の現役講師が語る、中学受験の現実。

中学受験という選択

中学受験という選択は、公立以外の中学を受験することだけを指すのではない。

中学受験という経験全てを子どもに与えることを選択しているのだ。

 

 

 

首都圏を中心とした特定の地域で、一部の小学生が毎年挑んで行く、中学受験。

私国立中学に合格し、地元の公立中ではない、自分の希望する中学に進学するための制度だ。

近年は、公立中高一貫校も登場し、中学受験を経験する小学生は年々増加しているようだ。

 

中学受験業界で働いていると、毎年のように同じ悩みを抱えた保護者が相談に来る。毎年のように同じ問題を抱えた子どもか育って行く。

 

受験をする小学生は、もちろんヒトであるため、画一的絶対的成功マニュアルがあるわけではない。

 だが、ある程度の共通項はある。それすらも認知されていないのだなぁ、と毎年感じている。

 

少しでもそう言った、“最低限知っておくべきコト”をまとめてみようと思う。

 

その最初となるべき項目は、“中学受験という選択”とは何か、ということだ。

中学受験という選択は、ただ単に公立中ではない進学先を選択しようとしてみる、ということではない。

中学受験という経験を子どもにさせる、という選択なのである。

 

公立中に進学をするのであれば、経験する事が無かったはずの中学受験。

中学受験を選択したことにより、経験できなくなる小学校生活。

 

子どもがまさに自立しようとし始める時期に、親子で挑む中学受験。

これは、子ども達の人格の基礎となる経験になる。

その基礎を、どのような経験に基づいて築こうとするのか、それを選択しているのである。

 

失敗したらまた高校受験をすればいい、という意見をよく聞く。

この意見は、子どものことを考えているなぁと感じることができない。むしろ無視しているなぁと強く感じる。

失敗して傷つくのも、小学校生活を犠牲にするのも、保護者ではない。

しかも、高校受験は中学受験と違い、親の出番は殆どない。

つまり、「中学受験に失敗したら、また高校受験でがんばれ」という意見は、

「中学受験は親子一緒に頑張ろう。ダメだったら、次は自分で高校受験をがんばってくれ。」ということだ。

しかも、中学受験がダメだったかどうか、を決めるのは、大抵、親だ。

こんな最低な“押し付け”があるだろうか。

 

中学受験という選択。

それは親が子どもに与える、人生に対する大いなる影響である。