中学受験という選択

中学受験専門塾の現役講師が語る、中学受験の現実。

日々是雑感〜4月に把握しておきたい、算数の伸びしろ〜

新学期が始まって、既に2ヶ月半。2016年度生の入試が終わってからというもの、怒涛のごとく時間が過ぎている。

2月の新年度授業スタートから、春期講習を経て、4月。受験生、つまり小学6年生向けの模擬試験も各社4月に始まる。そうすると、早くも志望校に合格しそうとか、厳しそうとか、志望校を下げるべきだとか低すぎるとか、受験生を抱える家庭がザワザワし始める。

 

そんな、受験生を抱える親の立場で一番気になることといえば、

「結局、この子は1年でどれだけ学力が伸びるのか」ということだ。つまり「伸びしろ」である。

ここでいう学力とは、偏差値に他ならない。受験校を決める学力面での指標は、結局のところ偏差値以外にないからだ。

この「伸びしろ」、正確に数値化することはなかなか難しい。その点で言えば、塾教師の独壇場だ。過去の経験と、今現在の指導の感触から伸びしろを読む。この読みとは、子どもの現状把握力のなせる技である。よって、完全に教師個人に依存する。

私の場合、指導科目が算数であることもあり、比較的読みが立ちやすい気がしている。結局のところ、算数の試験によって試される力、「数理面の処理力」「題意把握能力」「論理性」が高い生徒は、4科目総合でも優秀な成績を収めることが多い。

 

算数の成績を偏差値でいうところの50〜60(もちろん模擬試験の種類が違えば偏差値50のラインはぶれるわけだが)を目指す場合、典型題を繰り返し学習し、同レベルの問題が出題された際に、「悩まず素早く」正解できるようにする。これでほぼ目標を達成できるはずだ。その際に、苦手な単元、弱点単元が残らないようにすること。

典型題=基礎レベルであれば反射的に式や考え方が頭に浮かび、思いついた解法に従い計算ミスすることなく答えを出せるようになること。

これで偏差値55までは届くはずだ。難度の低い模試であれば偏差値65に届く可能性すらある。

つまり、中学入試を行う中学校のうち、ほとんどの学校の入試問題では、先ほど算数で計る学力として挙げた3点のうち、「数理面の処理力」のみを試しているのである。

 

この、「数理面の処理力」の「伸びしろ」を見ようと思えば、非常に簡単である。一度解いた問題が何割くらい定着しているのか、定着までにかかる日数・期間はどの程度か、を見ればわかる。ただ、これは今日学習した内容が明日身についていればOKということではない。1ヶ月後、2ヵ月後、半年後、確実に同じ問題が解けるかどうか、ということだ。各学習塾で行う春期講習は、ほとんどの場合総復習だ。講習で使用した教材を子どもが解いた時、基礎レベルの問題の正答率はどの程度か。これが一つの指標になる。

実際に6年生を指導している肌感覚で言えば、4月初旬の春期講習で、2月に学習した内容が解ける生徒は、上位15%程度。ただし、説明されれば思い出せる生徒は60%程度だ。重要な内容だとどれだけ強調しても、子ども達はなかなか解くことができない。それだけ日々の学習内容が多いし、4年生から6年生までの間に学習した内容が多いということでもある。

私の場合、毎年春期講習中に基礎問題のテストを行うことにしている。その際に、一工夫することで、その生徒の「論理性」を計ることにしている。それは、全ての問題に対し、記述式で回答させることだ。図や式、考え方を書かせることで、子ども達がその1問をどのように理解しているのかが、手に取るようにわかる。

子どもの理解の仕方は大きく分けて2通りだ。一つは、この問題はこのパターンの式、と「型で覚える」タイプ。もう一つは、解法手順の一つ一つの意味を把握し、活用できる、「解法の意味を把握する」タイプ。当然後者が優秀なわけであるが、ほとんどの子どもは前者である。ここで強調しておきたいのは、前者のタイプのうち、半数以上は「意味を理解する力はあるのに理解しようとしない」ということだ。なぜそんな子どもが多くなってしまうのかと言えば、算数の学習というのは、式の一つひとつが表す意味を把握し、理解することだ、ということを指導する教師や親が理解していないことが原因である。

「論理性」を身につけるためには、自分の頭の中で理解した問題を、他人に説明するためにノートに書く、他人が読んで分かりやすいようなノートを毎回作っていくことだ。手間はかかるが、途中式として書くべきこと=説明しないと他人に伝わらないことだと思って日々取り組むことが重要である。子どもは途中式を丁寧に書くことを嫌がりがちだ。文字を1文字でも少なく書きたいのだ。ただ、途中式・考え方をきちんと書く習慣が身につけば、書かないで頭でごちゃごちゃ考える子どもよりもはるかに早く正確に難問を解くことができるようになる。急がば回れ、である。

 

論理性を損なう学習の際たるものが、算数を方程式で解くことだ。算数を方程式で解こうとする小学生のほぼ全てが、式の意味を理解していない。そして受験が近づくにつれ、問題が解けなくなり、自信を無くしていく。算数は式の意味、考え方を理解することがもっとも重要なのだ。

その点、試験の解答用紙を記述式にすることは非常に有効である。意味を理解していない生徒は、どれだけ時間を与えても、どれだけ解答スペースを大きくしても、考え方を書くことができない。何故、その計算をするのか、が説明できないのだ。

これでは、典型題以外の問題に出会った時、自分の頭で考え方を組み立てることができない。算数の応用力とは、それまでに習った考え方を、出題内容=題意に合わせて新たに組み合わせる、アレンジすることだからだ。今まで習った考え方が理解できていない以上、アレンジのしようがない。

ただその一方で、全く新規の算数の問題というものは、もはや殆どないことも事実だ。世の中には応用問題を掲載した問題集はいくらでも手に入る。それらを徹底的に繰り返し解くことで、そのパターンを理解せずとも覚えていくと、応用問題としての典型題を覚えていくことができる。それら全ての問題の解法と異なる解法の問題を作ることは容易ではなく、どこかで誰かが似たような問題を見たことがある状態になっていることも事実だ。

よって、近年の難問と言われる問題は、10年以上前にどこかの学校(大抵は開成や灘である)が出題した難問を、「忘れられたことにリニューアルして出題」したものだ。

つまり、応用問題ですらパターン学習で突破できなくはない。しかし、そんなに甘くはない。何故なら、基礎レベルの典型題と比べ、応用レベルの典型題は、基本パターンからの派生型であるがゆえ、問題量が膨大であり、かつ1問1問が難しく、解きこなし身につけていくことが非常に困難だからだ。結局は、「正しい応用力」=「基本の考え方をアレンジし、難問を解く力」を養う方がはるかに現実的で、かつその子ども自身の能力の向上に寄与する。

 

そして、算数の入試問題で計られる3点目、「題意把握能力」は、難関校でのみ問われると言って良い。簡単に言えば、問題文が長いのだ。長く、初めて目にするような内容が書かれている問題文を読み解き、場合によっては小問として設置された誘導により解き進め、出題者の意図を汲み取っていく。これが「題意把握」である。小問でも今まで見たことがない問題が出題されることがあるが、殆どの場合、ちょっと考えれば簡単に解けることが多い。「パターン学習型」にとっては、簡単であろうが、難問であろうが、初見の問題は解けないが、日頃考え方を重視して学習している受験生であれば、小問であれば大抵解くことができるはずだ。この小問タイプでも「題意把握能力」は試すことができるが、近年難関校では、問題の紙面のかなりの面積を割いて大問を出題することが増えてきている。まさに、「題意把握能力」を試し、受験生が思いついた解法を記述させることで「論理性」も計る。こんな問題が徐々に増えてきている。

「題意把握能力」を試すのは非常に簡単だ。子どもが今までに触れたことがない問題を与え、どのように取り組み、解答を目指すのかを観察すれば良い。初めて見た問題を目の前にした時、とりあえず何もしない子どももいる。今まで見たことがあるパターンに無理やりはめ込む子どももいる。どちらのタイプも、正解にはたどり着かない。一番大事なことは、パターンに縛られず、自分の手を動かすことで問題の内容を把握することだ。内容を把握したならば、そこから今まで習ったことの中で使えそうな知識を用いて欲しい答えに近づいていく。そうして正解にたどり着くことができるのだ。

子どもが初めて触れる問題にどう取り組んでいくのか。観察すれば、「題意把握能力」の伸びしろは解るのである。

 

子どもの学力を観察する際、

「数理面の処理力」

「題意把握能力」

「論理性」

の3点に注目することで、自ずと算数の可能性=「伸びしろ」は把握することができるのだ。

この4月の時期、春期講習の成果と各社の模擬試験の結果を用いて、子どもの学力を把握し、GWなど連休期間で修正すべき点を修正できれば、まだまだ可能性は広がるはずだ。

2017年入試を終えて

昨日、都立中高一貫校の合格発表があり、今年の受験生の合格発表が全て出揃った。

今年も悲喜交交の結果ではあったが、全体を通じて見れば、想定外の悲劇よりも想定外の奇跡が多かった。

ここで今年の受験を終えた今だからこそできる総括をしようと思う。

とは言え、どの中学校の傾向が変わっただとか、人気に陰りが出たとか、そういった内容は、各塾が手にした結果と主観を基に分析を行うのだろうからここでは割愛する。

 

その代わりに何を総括するのかというと、今年の入試を終えて”改めて”感じた法則めいたことを述べようと思う。

私が受験指導に携わって今年で20年目だ。(完全に離れていた時期が若干あるが。)

毎年多くの受験生の合否を見ているうちに、なんとなく”勘”が働くようになる。

この生徒は第一志望に受かりそうだ、とか、第一志望ではなくて、第二志望に進学しそうだ、とか。はたまた、今志望校として挙げていない学校を目指したほうが良さそうだ、とか。

今年も理屈で説明ができることからできないことまで織り交ぜた進路指導を展開した結果、割と満足してもらえる結果となったの思うので、まとめてみよう。

 

 

其ノ壱 東京・神奈川入試を受験する前に、千葉・埼玉入試を十分活用すべし。

 進路指導をする人によって意見が全く異なる、1月入試の扱い。私は昔から積極活用派だ。具体的には、埼玉入試が1/10から、千葉入試が1/20から始まるため、埼玉県内の中学から入試が始まることになる。

 特に埼玉県内の中学は男子と女子で受験パターンが大きく異なるが、基本的な考え方は、埼玉入試、千葉入試は最低限1つずつ以上は受験する。

  →6年生にとって、入試の緊張感というのは20日間も続かない。埼玉→千葉→東京・神奈川と進むことで程よく緊張を保ったまま最後の1ヶ月を過ごすことができる。また、東京神奈川入試と比べ、千葉埼玉入試は同一日程で入試を行う中学校が比較的少ないため、1校あたりの受験者が多い。本年の受験者数が多い学校を例に出すと、栄東中で5800名、市川中で2600名だ。東京・神奈川地区に住む受験生にとって、本番といえる2/1からの入試を前に、大人数の緊張感を体感しておくことは非常に重要だった。入試で大人数なのは受験生だけではない。我々塾講師もそれぞれの入試会場に大挙して集まり、自分の教え子たちが少しでも良いコンディションで受験に臨めるように朝早くから試験会場の入り口で受験生を待ち構えている。これら全てが緊張の原因となりうるのだ、大本命の入試が、子どもにとっての初受験にしないことが大切だ。

 また、1月入試では、入試の得点を開示してくれる学校も増えてきた。まさに模試として使えるのだ。

 1月校を複数受験するメリットはまだある。入試を受け、試験問題を持ち帰り、自宅で解き直し、合格発表にドキドキし、合格に喜び、不合格に悔しさを覚える、という体験をしておくべきなのだ。東京・神奈川入試は、2/1〜2/5まで連日行われる。1つの不合格にショックを受けそれを引きずっていては、後半戦は戦えない。”不合格になれる”ことも大切なのだ。これら全ての狙いを、1月入試はカバーできる。例えば下記のようなパターンだ。

 

 男子  1/10 栄東A 1/12 栄東東大Ⅰ 1/20 市川 1/21 東邦大東邦 1/25 立教新座

 女子  1/10 栄東A 1/12 栄東東大Ⅰ 1/13 淑徳与野 1/14 浦和明の星 1/20 市川 1/21 東邦大東邦

 

1月入試の中で、模試としての役割、場馴れとしての役割、合否を体験する役割、全てを兼ねることができる。今年の受験生も、1月頑張りきった生徒は2月入試の最後まで落ち着いて受験できていた。逆に、1月校を受験する意味を履き違えていた受験生は、2月に入り大変苦労したと思う。

 

 

其ノ二 日頃の行いはやはり大切

 今年の受験結果を振り返ってみたときに、最後の最後で”何故か”日頃素直に努力していた生徒と、そうでなかった生徒で差が出た。

 努力するAくんと頑張れないBくんがいたとして、実力はBくんのほうが高いのに、同じ学校でAくんが合格、Bくんが補欠になる、といった具合だ。

 塾に通っていれば、様々な先生たちから様々なアドバイスをもらっているはずだが、それを素直に聴けるかどうか、が合否に影響していた、と思える。この”日頃の行い”は、受験生だけではなく、その親も含まれている。結局プロのアドバイスを軽視している受験生+親のもとには、なかなか本当に嬉しい合格は舞い込まない、ということなのだろう。

 この、日頃の行いが合否を決める、という説、非科学的であるが、塾教師で真っ向否定できる人はいないのではないか。

 

其の参 結局最後は、縁がモノを言う 

 今年の受験生に1月に話したことなのだが、「結局、縁のある学校には進学ができるものだ」ということだ。受験は、学力が高ければなんでも合格できるものではない。何故か自分の得意分野しか出題されない場合もあれば、苦手分野しか出題されない場合もある。学力だけではない、何か不思議な力が作用するものである。そんな様々な影響をくぐり抜けて合格を勝ち取ることができる生徒は、その学校に縁がある生徒である。多少学力が足りなくても、縁があれば合格し、その学校の制服を着ることができるはずだ。逆に言えば、不合格だったとして、自分の学力や努力を否定されたのではなく、縁がなかったのだと思って前を向くべきである。

 毎年、入試が終わってみれば、その子どもにとってベストな学校に進学したな、と思うことがほとんどである。

 

其の四 背伸びをした学習よりも、足元を固める学習

 これも毎年感じることだが、志望校と自分の学力の差が大きいとき、その受験生の行動は大きく2つに分けることができる。

 1つ目は、は目の前の課題を1つでも減らそうと、苦手な問題を一つ一つ学習していくケース。もちろん理想とする状態で受験を迎えることはできないが、失点の原因を少しでも減らし、合格に近づこうとする。

 2つ目は、現状の学習ではなく、志望校の過去問をとにかく解き、間違えた問題をとにかく直す、過去問のみに集中するケース。ただこの場合、直前になっても学力が足りていないにも関わらず、過去問にアタックすることになるので、当然過去問が解けない。解けないものを必死に解き直しをしたとして、それが身につく程度の基礎学力がなければ意味がない。割と惜しいレベルには届くことが多いが、逆転して合格できるケースは稀だ。また、「過去問を解きまくれば合格できる!」と言った都市伝説は、「過去問を解き始める前に必要な基礎学力があれば、あとは多少偏差値が足りなくても『過去問を解きまくることで合格できる!』」というのが正しい。

 

塾によっては、自社の合格実績確保に躍起になるあまり、目の前の生徒の人生を考えずに「A中学校を是非受けましょう!」等と言って志望校を変えさせることもある。が、私がいる某塾はその辺のんびりとしているため、最低限のお願い以上のことをしたことがない。できるだけ受験生やその保護者の希望に沿った受験をしてもらおう、と考えて毎年進路指導をしてきた私がやんわりと掴んだ、現時点での”合格校の法則“が、勘の招待なのだと思う。

 

 

中学受験のゴール

入試直前の、1/31。東京・神奈川地区の中学受験を明日に控えたこの日、子ども達の状態は様々である。

そもそも、中学受験を終えた時に、子どもがどのような状態になっているべきか、どのような状態でいてほしいのか、考える保護者は少ない。

もちろん、第一志望の中学に合格をし、4月から始まる学校生活に期待を抱いてほしい、という、”誰でもすぐに思いつく”状態ではない。

中学受験という、あえて選択した”経験”が、我が子にどのように染み込んでいる状態であってほしいのか、ということである。

 

いくつか実際の例を挙げてみよう。

その1

受験に向け、親子二人三脚で努力を続けてきた子ども。苦手な科目も辛いながら必死にこなし、覚えるべき理科や社会の知識を必死に詰め込み、解けない算数の問題や、理科の物理・化学の問題を、「せめて同じ問題だけでも解けるように!」と何度も解く。

結果、理科(特に生物・地学)や社会は“必死に覚える科目”、算数や理科(特に物理や化学)はパターンに当てはめて解く科目、応用問題はとりあえず捨てておく科目、となる。

この状態で中学に進学すれば、どうなるか。

親子で取り組むものであった勉強から、中学に入った途端、自分一人で進める勉強になる。しかも、必死に覚えるものであった科目は、必死に覚えなくてはならない状況ではなくなる。受験生だった時には想像もしなかった、つまづきがやってくる。

 

その2

小学校低学年から塾に通っていた我が子。気がつけば勉強が苦しそうになっている。頑張らせるために、テストの結果を毎回必死に分析し、子どもにコメントをする。どうしても気になってしまう偏差値。目標とする学校に届かない偏差値を前に、「あと偏差値を5上げよう」「あと偏差値を10上げよう」とハッパをかける。子どもは親の期待に応えようと必死に頑張ってはいるが、結果がついてこない。そんな中、当初の第一志望を諦め、苦渋の選択で第一志望を変更し、受験することを決めた。

第一志望を初心貫徹、変えないことはとても大切である。初心貫徹するためには、最初に掲げた目標が、親子共々心から目指そうと思える目標であることが欠かせない。親の希望の押し付け、未熟な子どもが安易に決めた目標を鵜呑みにする、など、受験を乗り越えられるだけの動機に不十分な目標では、初心貫徹は到底難しい。そのため、志望校を変更する(主に難度を下げる)ことになる。これは、“受験というものは、目標に到達できそうにない場合は志望校を下げるものだ”ということを教えることになる。目標に届くように必死に努力をする、最後の1日、最後の1時間、最後の1分まで全力で挑み、勝利を勝ち取る。ダメだった場合は、何が足りなかったのか、しっかり振り返りをする。

目標を諦めることなく、最後まで努力ができる力を、不要だという人は少ないだろう。結果がどうあれ、第一志望は譲らない。これは鉄則だと思っている。

もう一つ。子どもと一緒にテスト結果の振り返りをする場合、偏差値、点数のみで評価をすることは無意味である。いや、害にしかならない。中学受験を目指す小学生が、カンニング常習犯が思いの外、多い。そして、そういった子どもの親は、必ずと言っていいほど、点数や偏差値のみで子どもの学習状況を判断している。子どもが必死に努力した結果、点数に結びつかないケースで、子どもの努力を評価していないのだ。その結果、点数が取れるのならば手段は選ばない、いや、手段を選ぶ余裕のない子どもが育つ。そうして1年、2年カンニングをして育つ子どものカンニング癖を治すことは至難の技だ。

 

中学受験は、親の受験とも言われる。親が頑張る受験。ただ、この意味を履き違えている保護者があまりにも多い。親が頑張るのは”学習指導”だけではない。目の前に大量に押し寄せ続ける”やるべきコト”に流されず、子どもにとって”あるべき姿”を保ち続けることだ。

努力が結果に結びつかなかった時、怒るのではなく、励ます。

志望校を決める時、親の思いだけで決めるのではなく、子どもの希望の言いなりになるのではなく、一緒に、いろいろな学校を見て、話し合い、夢を描きながら決める。

子どもの成長が思った通りに進まなくても、”それも個性”と受け止め、子どもの成長と向き合い、一緒に最後まで受験を乗り切る。

子どもが中学に進学するまでに、受験を通じて身につけなくてはならないことは何か、を常に考え、目先の”ベストに見えること”を安易に選択しない。

 

どれもとても難しいことだが、本当に伸びる子どもたちを支える保護者は、意識はしていないと思うが、これらのことが(全てではないにしても)きちんとできているように思う。

 

中学受験、成功するか、失敗するか。結果はすでに出ている。

合格は、その副産物でしかない。

失敗した受験で第一志望合格を勝ち取ったとして、その先には”思い描いていた6年”はやってこない。

 

 

入試本番を明日に控えた、今日。

今日という日を無事に迎えられてよかった、と話してくれた1人のお母さんがいた。

まだ明日からが本番ですよ、と言いながら、これまで子どもが経験して来たことに満足してくれていた。

明日からの本番、順風満帆には行かないだろうが、その親子の受験は成功したと言えるな、と思った。

 

明日から始まる受験本番。これまで様々なものを積み重ねてきた子どもたちが、彼らの進むべき道にきちんと進むために、我々は最後の応援をする。

受験当日、力を発揮しきれずに後悔することがないように。